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VOL.2  すき焼きの割り下 2020/02/02(日)
僕は、食べることが大好き。
でも、世にいう「グルメ」と言うわけではありません。例えば、「タマゴの調理」には、結構こだわりと執念を持って毎回毎回取り組みます。
その筆頭は「目玉焼き」。これは父親から2代続く、世紀をまたいだ課題です。
  「目玉焼き」について述べるには、もう少し修行が必要なので、今回は、やはりタマゴが欠かせない料理、「すき焼き」のお話です。

  すき焼きを食べる時の「タマゴの溶き方」も、もちろんおろそかにしてはいけません。「溶き方」によって、すき焼きのそれぞれの具の味わいが変わるからです。
つまり・・・、と、このまま話を続けたら、
「まあ、好きにやったら?」
と言われそうなので、今回は皆さんに、絶対すぐに役に立つ「割り下」の作り方です。
「すき焼き」と言うと、日本の代表的な料理の一つ。家庭でも、外食でも、すき焼きはいつも身近な食べ物でした。と、過去形にしたくなるのは、最近は外食ですき焼きを食べられるところが、ずいぶんと少なくなったと思いませんか?
また少々横道にそれますが・・・、
「すき焼き」を提供するお店って、ほとんど「しゃぶしゃぶ」もありますよね。
これが問題だ、と僕は勝手に推察するのです。
一つに、食べる側の好みが、「すき焼き」よりもサッパリ系の「しゃぶしゃぶ」に流れていることもあるかもしれませんが、問題は店の側の事情ではないか。つまりしゃぶしゃぶは、具材をすべて熱湯に入れて食べるわけですから、店の空気も汚れないし、少々食べるタイミングを逸しても、あまり問題ないんです。ところが「すき焼き」は、ちょっと熱を通し過ぎると、肉が硬くなる、味が濃くなってしまう、挙句の果てに、焦げてしまうと周りに煙をまき散らす、その鍋の後始末も・・・、と、店側の「すき焼き」への気配りと手間は、「しゃぶしゃぶ」の比ではない。
  そうなったら、世の流れが「しゃぶしゃぶ」に行っているのに、手間のかかる「すき焼き」に固執する必要はない、となって、外食で「すき焼き」を食べられるところは、「しゃぶしゃぶ」に比べて減ってしまったのではないか?
でね、もっと言うと・・・、
ハイ、「割り下」の話でした。

この割り下の作り方は、僕が20代後半、ある人の紹介で、赤坂の料亭の女将にかわいがってもらっていた時に、直伝で教わったものです。

子供のころ、家ですき焼きを食べていた時もそうでしたが、食べ始めはいいけど、だんだん入れる具材や、熱加減によって割り下の味が変わって来てしまう。そうなると、ちょっと味が薄くなってきたから醤油を足せ、砂糖をもう少し入れろ、濃くなり過ぎたから水を足せ、と、いつの間にか割り下の味は、最初とは似ても似つかない、とりあえず食べられるすき焼き風煮込みになってしまう。

昨今ではスーパーでも、出来合いの「すき焼きの割り下」なんていくらでも置いてありますが、それに簡単に手を伸ばすのは、僕としては主義に反するところであります。
さてそれで、ようやく「直伝の割り下の作り方」。

これは至って簡単で、
【酒:4、水:3、醤油:2、みりん:1】
後は好みで、砂糖を入れる。
たったこれだけです。
あくまで僕の所見ですが、この割り下は、「最初から最後まで、上品な味わいが壊れない」に尽きます。
補足は3つ。
砂糖を入れる量は、あくまで好みですが、おそらく想像しているより入れることになると思います。味見をしながら調整してください。
この割り下は、すき焼きだけでなく、かつ丼や親子丼、等の丼物、うな重、焼き鳥のタレにも、ぴったりです。
  この時も、調整は砂糖の量だけです。丼ものに玉ねぎを刻んで入れるなら、玉ねぎの甘さが出るので、砂糖は控えめに、といった要領です。
「4:3:2:1」の黄金比率は、厳守。これが肝。

 
  これで今回はおしまい。
なんだ、最後の10行だけで良かったんじゃない?なんて言わないでくださいね。
  それではごきげんよう!

  おまけ:
皆さん、ご存知かもしれないけど、すき焼きに「トマト」入れるとおいしいよ!

                                                                                                                  岸 俊和

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「日日是好日」始まりの始まり
 皆さんこんにちは。岸 俊和(としや)です。
2020(令和2)年を迎えて、本ホームページでは、「日日是好日」という新しいページを立ち上げました。

  本ページの狙いは至ってシンプルです。
僕自身、自分の担当する教室以外では、「RKの代表」という顔で皆さんと接することがほとんどで、なかなか皆さんと素顔で触れることが無いままこの35年余りをやってきました。
そこでこのページでは、一個人として僕自身がRKを通して感じたことや見聞きしたこと、日常での素顔を皆さんに見ていただきながら、皆さんをもっと身近に感じたい、と思っています。

  皆さんからも、様々な意見、感想、希望、RKでの体験等、聞かせていただければうれしいです。
 2020年1月
岸 俊和
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VOL.1                                   まずは、ぼくの自己紹介・・・                 2020/01/04(土)
初姿。岸 俊和です。
1949(昭和24)年4月生まれ。東京都出身です。
1984(昭和59)年10月、東京都新宿区に、「リズミック・カンフー」を開設しました。
 当時は、「水」と「油」のような「音楽」と「武道」を混ぜ合わせることを、どうして思いついたの?と、よく聞かれましたが、最近ではそんなことも耳にしなくなりました。
  一つには時代の移り変わりの中で、社会の様々な事象に対する音楽の役割が飛躍的に広がったこと、それと、「武道」という古めかしい、封建的なイメージが、今はずいぶん薄れてきているということもあるのでしょう。
ただ僕の中では、これという根拠があってリズミック・カンフーを始めたわけではなく、そこに導かれたのだと今は思うのです。
 
 三歳のときから、父によってヴァイオリンを通して目覚めさせられた音楽の世界。
一方で、小学校では、やんちゃ坊主で喧嘩好き。父には「今日も喧嘩で勝った!」と報告すると「よし!」と褒められ、その後、母はよく学校に呼び出されていましたが、僕を非難する先生に対しては、
「あの先生はまだ若いから駄目だ」
と決めつけ、僕に少しでも理解を示してくれる先生には、
「あの先生は俊和のことをわかってくれるいい先生だ。」
と、呼び出されている理由よりも、僕のことが話題になること自体が、うれしそうでさえありました。
  そんな僕が、一方では剣道から始まって、空手、拳法、功夫、キックボクシング等々、いろいろな武道、格闘技に触れてきました。そんな中、ある武道で初めて黒帯を取ったとき、皆の前で先生に感想を聞かれて、
「もっとケンカに強くなりたいです!」
と言って、先生を初め、皆にひんしゅくを買ったこともありました。
 
  少年時代は父から、
「ヴァイオリンを弾かない奴は俺の息子ではない」
という環境で、まさにスパルタ式で厳しく育てられました。
 中学時代は、読売交響楽団の初代コンサートマスターのドイツ人、ヴォルフガング スタフォンハーゲン先生に師事し(この先生のヴァイオリンの指導法の一つは、現在皆さんが当たり前のようにやっているリズミック・カンフーのレッスン方法にも生かされています)、
「You are the best!」
と言われて、このままドイツに連れて行かれるのかな、なんていう空気もありました。
 しかし、二十歳になったとき、父に
「ヴァイオリンは俺が見つけた人生だ。お前はお前で自分の人生を見つけろ」
と言われて、ヴァイオリンを取り上げられました。
 その頃はもう、ヴァイオリンニストになろうと思っていませんでしたが、それでもヴァイオリンは、幼少から青春時代の自分の中に一番深く根差したバックボーンだっただけに、それを植え付けた父に、首根っこからいきなりズッポリ引き抜かれたときは、二十歳を過ぎた自分が大粒の涙を流したことを今でも覚えています。
今思えばそれは父の、僕に対する大きな愛情と期待がゆえの言葉だったことは、十分理解でき、感謝もしています。
 
  そんな雑草的武道経験と、父から与えられて最後は取り上げられた音楽。
僕がその両方を深く心に閉じ込めながら、それぞれは相反する対極にあったはずの二つの世界が、三十歳を過ぎて、それらをようやく穏やかに自分の中で受け入れらるようになった頃なのかもしれません。
一見同居などあり得ない二つの世界。音楽のリズム、抑揚が、武術の動きと同化しても違和感がない、という情景がふと垣間見えたのです。
  そのわずかな隙間から見えた世界は、そこにひとたび足を踏み入れてみると、これまでの音楽の世界、武道の世界で僕自身がここまで、と終わりにしていた壁が一気にはじけて、そこには未知の、新しい宇宙が広がっていました。

  それが、「リズミック・カンフーワールド」。社名の「RK World」です。
 
 

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