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VOL.7 「余分な力を抜く」ということ 2020/06/14(日)掲載
VOL.6 今のこの時間  2020/05/14(木)掲載
VOL.5 未知との遭遇 2020/05/03(日)掲載
VOL.4 RKの自習の心得  2020/04/19(日)掲載
VOL.3 リズミック・カンフーの「3ポイント+1」  (PART1) 2020/03/08(日)掲載
VOL.2 すき焼きの割り下 2020/02/02(日)掲載
VOL.1 「日日是好日」始まりの始まり。  まずは僕の自己紹介 2020/01/04(土)掲載

 
VOL.7 「余分な力を抜く」ということ
~第75回級段位審査会中止を受けて~
2020/06/14(日)
 
今日、6月14日(日)は、本来であればリズミック・カンフーの第75回級段位審査会の開催日です。
受審を決めた人にとっては、今日の午後に合わせて体調も気持ちも調え、準備していたはずです。

 しかし現実は、新型コロナウイルスの影響で、札幌を除いて、普段のレッスンはもとより、審査会を初め、RKの各イベントもすべて中止になり、皆さんと直接顔を合わせる機会がいきなり無くなってしまったことは、よもや想像もできなかったことです。

 今必要な二つのこと。
一つは、「本能に根ざす恐怖心に、心を蝕まれないこと」。
もう一つは、「今できることを、腹を据えて真正面から、きちんと取り組むこと」。
 緊急事態宣言が出たからと言って、首をすくめる。それが解除されたからと、恐る恐る周りを見渡す。しかし、それらはすべて、人が決めた基準で変わるものです。それに心までも振り回され、一喜一憂するのはやめましょう。 
 暗闇の中と言えども、その闇にしっかり両目を見開けば、やがて暗闇に目が慣れて来て、実相が見えて来るものです。
   今日は、そんな中で、レッスンで身体を動かすときの最重要と言っても過言ではない、「力の入れ加減と抜き加減」について、皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。

 「余分な力を抜きましょう。」
とはよく言います。
さあ、ではその時、あなたはどうしますか?
例えば、肩の余分な力を抜こうと思うと、肩をグルグル回しながら、フーッと一息ついた気分で、また動き出す・・・。
しかしそれで肩の力が一瞬は抜けたとしても、その後ずっと肩に余分な力が入らずに気持ち良く動けましたか?
こちらから見ている限り、答えは「No」です。
 
 「肩の力を抜きましょう。」という言葉を正確に言い直すと、
「いったん肩の力を抜いて、さあ、また続けましょう!」
ではなくて、
「今の意識と身体の使い方では肩に余分な力が入ってしまいます。肩に余分な力が入らないような意識と体の使い方に変えましょう。」
と、なります。

 正拳突を例にとっても、僕が見る限り、途中でいったん肩の力を抜いた後、そのまま変な力が抜けて勢いのある素晴らしい正拳突になった、という光景にはまずお目にかかれません。
余分な力を抜く、というのは直接的には、筋肉の不要な力を抜く、ということですが、だからと言って、そこの筋肉の力を抜こうとするのは、風邪を引いて咳が出るから、咳が出ないようにする、の類の対症療法ではないかと、最近思うのです。

 心の問題においても、克服したい壁を前にして、何とかそこを突き抜けたいと願う時、ただやみくもにそこに固執してぶつかってもなかなかいい結果は得られないことがあります。 
 
 そんな時、いったんそこから離れて、心を解き放つことで、これまでと違った心のうねりが生じて、思わぬところからこれまでの壁が氷解する、ということがあります。
 
  さて、話を戻して身体のこと、とりわけリズミック・カンフーの動きについては、皆さんがいろいろな事例を見せてくれています。
 何十年も続けている何人もの会員について、あるレッスンで、僕から見ると、
「あ~あ、今日はずいぶん悪い癖が丸出しになってしまっているな。このままではまずいな。」
と思って、終ってから、今日のレッスンはどうだった?と、聞くと、
「今日はすごく気持ちよく、ガンガン動けました!」
という答えに、思わずアドバイスを控えてしまうことが、何度もありました。
逆に、おっ、今日はいい動きしているな、と思って、終ってから、今日の動きは良かったね、と言うと、
「え~っ、今日は全然気持ちが乗っていなかったんですけど・・・。」

 野球のバッティングでも、調子がいいと、その調子の良さがゆえにフォームを崩したり、気持ちが前のめりになって、スランプに陥ってしまう、という話をよく聞きます。
あるプロ野球の監督の話で、僕が事あるごとに印象深く思い出すのは、
「調子がいい時には、必ずそこに悪い芽が育っている。調子が悪いときには、必ずそこにいい芽が育っている。」
という言葉です。
ちょっと拡大解釈のようですが、要は、自分の思い込みは、それが強ければ強いほど、あまり当てにはならないのかもしれません。
 
 ただ始末の悪いことに、この「思い込み」というのは、多くの場合「一生懸命な気持ち」から生じています。
そもそもやる気がないのに、肩に余分な力は入りようがありません。つまり、一生懸命になればなるほど、余分な力が入ってしまう、ということになります。
一方、余分な力を抜けば、一生懸命な気持ちは萎えてしまうとしたら、どうしたらいいのでしょうか?

 研修セミナーなら、ここでそのまま、これを課題にして皆さんに考えてもらうところですが、その場ではないので、このままもう少し話を続けましょう。
 
大体、一生懸命になると身体のある部分、あるいは身体のどちらかの側にに力が入ってしまう、というのは、何をやっていても(多分心の問題の時も)、その人の普段の習性から来ているのだと思います。しかもそれは、多くの人に共通の習性でしょう。分かっていても、一生懸命、夢中になると、どうしてもそこ(多くは首から肩)に力が入ってしまうとしたら、力を抜いてしまっては、気力が萎えてしまうということになるのです。
    僕の経験からすると、この問題の解決の糸口は、肩の力を抜こうとするのではなく、そことは違う所、もっと必要で、肝心な急所にチカラを込める、気持ちを注ぐことです。 

 人間はもともと四つ足動物から進化して二本足になったと言われています。運動をしているとき、腕の付け根である肩(さらに肩甲骨)に気が入っているときには、下半身にはほとんど気力が届いていません。正拳突で言うなら、突いている腕に気持ちが入り過ぎることで、首、肩に余分な力がこもってしまいます。
 「さあ、頑張るぞ!」という時、両腕に力を込めてこぶしを握り締める動作はドラマでもよく見られますが、そういう状況の時に、上体はゆったりしていながら、腰を立て、丹田に気力を込める、という地味な動作はあまり見受けられません。
 しかし、何をやるにも運動の原点は下半身です。
つまり、一生懸命な気持ちは、上半身、とりわけ手や腕や肩ではなく、下半身に入れ込むことが肝要です。
 
もう少し細かく言うなら、運動力学的には足の裏、さらに内転筋(なぜあえて内転筋なのか?)、武道的には、肛門を締める、ということになります。
そこに向けて、一生懸命の気持ちをひたすら集中すれば、首、肩などの余分な力は、結果として抜けてしまいます(ただ、「何事も過ぎたるは及ばざるに如かず」。偏った力の入れ過ぎは、また別の力のアンバランスを生むことになりますが・・・)。

 『もともと人間は、2ヵ所に同時に神経を集中することは出来ません。』
今回の話で、「肝」はこの一行です。
人間は、カラダの2ヵ所の痛みを、同時に「痛い!」と感じることは出来ないのです。
この摂理を是非、あなたの体の中に活かしてください。
 
余分なところに入っている力を抜こうとするのではなく、本来一番必要なところに気力を集中すれば、余分な部位の無駄な力は、自ずと抜けて行ってくれます。

是非、お試しあれ。
  岸 俊和
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VOL.6      今のこの時間 2020/05/14(木)
 
この何十年、もしかしたら生まれてこの方、味わったことのない、想像もしなかった時間を、今過ごしています。それは、これまでの日常の景色と何も変わらない中で、でも何か空気感が違うという得体の知れない世界です。
だからこそ、これまで出会ったことのない自分と向き合っているのかと思います。
もちろん楽しいばかりの時間ではありません。でもかといって、悲しかったり、苦しかったり、恐ろしい時間でもありません。
ただ、心の底から、あって良かった、と思える人生のひと時です。
この時間を過ごさずに一生を終えるのと、今この時間を与えられていることを比べると、僕は今の時間を与えられていることに、信者でもないのに神様に感謝したい気持ちです。
その中で、自分の人生を、自分自身をいとおしく思い、またある時のあることを、ある瞬間を、自分の人生のすべてを以てしても償いきれない後悔、懺悔。本当に・・・。
でも、まぎれもない、自分自身の足跡です。 
 
 こんな時でなければ出会わなかった、小学校時代の通信簿(担任の先生の僕へのコメント)。
音楽会の合奏で、隣でヴァイオリンを弾いている人がほんの少し音程が違った瞬間、それをチラッと見やった時の僕の目線の写真。
高校時代、友達からの、封筒の裏に「落ち着いて読め!」と書かれていた手紙。
初恋の女性との写真。

 僕の人生は、この頃、こんな風にして、こんなことがあって、こんな人と出会って・・・と、記憶の時間軸を縦軸にして、それが自分の人生のように思っていました。それはいつでも、思い出そうとすればすぐに出て来るはずの記憶でした。
  でも、自分自身の人生に関わる品物や記録、手紙、写真、と様々なものが、今まさに、この時でなければ決して得られなかった、
『ゆったりとした呼吸』
の中で、改めて掘り起こされてみると・・・。
 これが、これまで歩いて来た僕の人生だと思っている縦軸は、何の質感もないただの一本の線状の道程に過ぎない、と思えて来るのです。
その道すがらで見たり、感じたり、悩んだり、歓喜したり、という景色、その横軸に今の深い呼吸が沁み渡り、その時々の自分の鼓動と同期したとき、そこに自分の人生の真の姿が、とうとうと横たわっていることを、今、実感しています。 
どこをどう歩いたか、ではなく、そこで見えた景色なのです。
 「人生」という一本の線。その線の一瞬一瞬に、様々な面が縦横無尽に絡み、さらに膨らみ、限りない宇宙がそこに広がっています。
もう少し、この時間は続きそうです。 
岸 俊和
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VOL.5      未知との遭遇 2020/05/03(日)
かつて出会ったことのない光景。だからこそ、その中で、未だ出会ったことのない自分自身に出会うチャンスなのかもしれません。
そんなことを思う日々に、あるRK会員からメールが届きました。
これは、リズミック・カンフーの研修セミナーの受講生には既に紹介したものですが、あえてここで、原文のまま改めて紹介します。 
なんか、心がホッとしました。
 ホームページの「日日是好日」へ、初めてお便りします。 
 先日、TVで、
レディー ガガさんが、
「新型コロナウイルス医療関係者の方々へ深く感謝します。」
と言って、[smile]を歌っているのが聴こえて来ました。
  私は急に、マイケル ジャクソンさんの[smile]を聴きたくなり、リズミック・カンフーのレッスンミュージックCDを探しました。
ありました!
「RK SOUND TRIP 2016」
目をつぶり、ただただ聴いていました。
心に染み入ってくる声色に浸りました。
もう一度聴きました。
何となく体を伸ばしたくなって。
ゆっくり穏やかな呼吸になっていて。自然にストレッチしていました。
体中の毛穴が音楽を吸っているみたい。
私の細胞が喜んでいる。
音楽の力って素敵だな~、と改めて感じました。 
 
翌朝も洗顔後に[smile]をかけました。
聴きながら顔に化粧水をパタパタと。
これも音楽の力でしょうか。手を留めて、ただ頬を包むようにやさしく、ゆっくりと深い呼吸になっていました。
音楽が肌に浸み込んで行くようでした。
優しい気持ちになり・・・、
「そういえば、普段こんなゆったりとした気持ちで、化粧水をつけていなかったな~。最近の私は、なんだかギスギスしてたな~。」
と、気付きました。
その日一日、不思議と穏やかな気持ちで過ごせました。 
 
これを機に、過去のレッスンミュージックCDを聴きまくっている毎日です。ストレッチや基本作法をやりたくなり、自由にやっています。
楽しい!
体も嬉しい!って言ってる。
今は、1998年版にハマっています。
後半ノリノリな上に、これでもかぁーって感じで、ジプシーキングスのメドレー!
もう打ち止めかと思いきや、さらにノリノリは続きます。
こーんなに、「一人RK」を楽しめるなんて!

今日はどうしてもお礼が言いたくて、お便りをしました。
岸創師、リズミック・カンフーに「素敵な音楽」をありがとうございます。

ペンネーム みぃ~みちゃんより
 
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VOL.4 RKの自習の心得 2020/04/19(日)
 私たちのリズミック・カンフーも、新型コロナウイルスの影響で、札幌を除いてほぼ全教室が休講を余儀なくされています。唯一継続している汐入教室は、今月あと1回のレッスンを残していますが、来月からは未定です。
  これまで毎週のレッスンを生活のリズムにしてきた皆さんは、何とか現状の体力、体調を維持するために、自分一人でもできることをしようと考え、実行していることと思います(或いは実行したいと・・・)。
  そこで体力、体調を崩さないように維持するために、一人で何かをする時に必要なポイントを、お伝えします。
 
 人が生きるために必要不可欠なもの。
第一に「呼吸」。
第二に「睡眠」。
第三に「食事」。
第四に「運動」。
 つまり、リズミック・カンフーができることは第四のことで、その前の第一から第三は、RK以前のこととして
「自分を律する」
ということです。 
 
まずはそれらを自分の生活の中で実践することから始めましょう。 
 今は、そうした自分自身との取り組みについては、精神的には追い詰められながらも、現実にはこれまでにないほど時間が与えられている人も多いと思います。
 普段は日常の仕事や雑事に追われて、そんなことを考える暇もなく過ごしている人も、こういう時にしかできないこととして、ぜひ自分と向き合い、自分にとって必要なこと、より良いことの取り組みを一つ一つやってみてはどうでしょうか?

まずは「呼吸」。
あなたは、1日のうちで自分の呼吸を何回、どのくらい意識していますか?
そうでなくてもこういう閉塞感がある日常では、どうしても呼吸は浅くなりがちで、ゆったりした呼吸、深い呼吸は忘れられがちです。
1日に1回でも多く、思い出したら、体内にたまった古いガスをしっかり吐き出して、体幹を上下前後左右に十分膨らませながら、最大体積の中に新鮮な空気を取り込みましょう。
ゆっくり十分吐いて、ゆっくり十分吸う。それを1回、2回・・・、5回、6回・・・9回、10回・・・と繰り返す・・・。 
 この行為自体は、運動神経によるものですが、「呼吸」には最もシンプルに「運動神経」から「自律神経」、即ち「心の状態」に関われる機能があります。呼吸は、人間の生命活動に不可欠な酸素を取り入れると同時に、私たちの精神に重要な影響を与えています。今の閉塞感を癒し、心を調える「ゆったりした呼吸」は、私たちにできる最初のことであると同時に、いつでも最も大切な営みであるといえます。

 次に「睡眠」。
これは難しい。
 人にもよると思いますが、日常の睡眠を常時安定して取るのは、至難の業です。
 生前の父は、ふくらはぎに水虫がありました。どんなときでも熟睡している、隣で寝ている母が、その父のふくらはぎに自分の足を乗せながら、
「うーつうっちゃう、うつうっちゃう・・・」
と鼻歌交じりの寝言を発したそうです。次の日の夕食の時に父がそれを話題にして、
「お母ちゃまは幸せだね。何か人生で悩みごととかあって、眠れないこと無いの?」
と、真顔で聞いていました。

 僕自身は、寝つきは極めて良く、電気を消したら3分後には寝入ってしまいますが、夜中は必ず何度か目が覚めるので、朝までぐっすり、というのは2日間徹夜でもしない限り経験はありません。
そんな僕の信条は、途中で目が覚めても、眠れなくても気にしない、ということです。
 高校時代に、ある同級生に、
「夜、眠れないんだ。」
と話した時に彼女が言ったこと。
「だったら勉強すればいいじゃない?」
ちなみに、彼女は現役で東大の文三に合格しました。 
三番目は「食事」。
さっきから、まったく僕の個人的な経験談になっていますけど・・・。
どんなに面倒くさくても、目玉焼き一つでも、食事は自分で作るのが一番!飛びっきりの料理人が作ってくれた料理は別として。 
 最近個人的な事情があって、出来合いのもので食事をすることが続いてしまったんですが、その中で感じたこと。それは、どれもこれも誰にも一応の合格点の味なのに、その物差しというか方向がどれを食べても同じで、すぐに飽きてしまうという、人生で初めての経験でした。
 幸い、その時期も終えて、また自分で作って食事をする生活に戻っています。
 
僕は自分の、あれが食べたい、これが食べたい、と日々欲するものが、一般的に栄養のバランスが取れていると言われるものが多いので、栄養を考えて食事をするというより、その時々で食べたいものを自分で作って食べることを原則にしています。事実、誰か他の人と食事をするのに外食になってしまう以外は、仕事中の昼食は別として、100%自宅で食事をしています。
で、僕にとって食事は、「健康」よりも、「おいしい!」と味わいながらその時間を過ごすことです。よく、二言目にはこれは体にいい、こういうところにいい、と言いながら食べている人がいますが、僕は
「ンマイ(ホントにおいしいものが口に入っているときにはウマイとは発音できないんです)!。美味しいね!」 
と言いながら食べるのが好きです。
間違って失敗しても、誰のことも恨まなくて済みます。夕食には大体2時間くらいかけますが。
  そして、4番目は「運動」。 
 話が長くなってきていますので、詳しくは次回お伝えするとして、一言。
   学校の勉強は、苦手なところを集中的にやることも一つの取り組み方かもしれませんが、身体を動かすことは、何をやるにしても、全身の各部が大なり小なり働いての一つの動作です。
あなたが普段90分のレッスンをやっているとして、それを基に自宅で20分の時間で身体を動かそうと思うなら、苦手なことだけをやっても効果はほとんどありません。まず、初めの15分で、ストレッチ、基本作法、運歩法(これは無理なら省略)の代表的なものを軽く行い、次に最後の5分でやりたい練習をやる。
これが大事です。
 どんな小さな動作でも、あなたの身体は全体として機能しています。すべての筋肉、骨格、関節がそれに関わっていることを忘れないように。
 もう少し、リズミック・カンフーにこだわらずに運動するなら、外出を控えた生活の中で一番弱るのは、下半身であることから、人混みは避けて安全な道路や公園などを、歩いたり、軽くジョギングを40~60分行う。この時に一番味わって欲しいことは、それをすることによって得られる「快活な呼吸」です。

 さあ、今しかできないこと、今だからこそできることを実践するチャンスです!
 そして、新しい自分発見を!
岸 俊和

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VOL.3 リズミック・カンフーの「3ポイント+1」 (PART1)  2020/03/08(日)
皆さん、こんにちは。岸です。


今日は、リズミック・カンフーが創設以来、大切にしているポイントのお話です。
なぜ「4ポイント」ではなくて、「3ポイント+1」なのか?
まず、「4ポイント」ではなんか締まりがないじゃないですか。
でももちろん、理由はそれだけではありません。
初めの3ポイントは「身体の動き」についてのこと、後の+1は「心の動き」についてです。 

もうすぐ・・・ 
その3ポイントの最初に挙げるのが、「体重の移動」。
リズミック・カンフーに限らず、私たちが普段「運動」と言っている動作は、体重の移動がその大本になっているわけで、体重の移動がキチンと出来ている、ということはしっかり運動が出来ている、ということであり、体重の移動が十分でないと、似たような動きをやっているようでも、実際は運動が十分行われていない、ということになってしまいます。
 総じて、例えば正拳突の2カウントを同じ回数やっても、初級者より有段者、さらに高段者の方が、数倍のエネルギーを消費しています。その一番の理由は、体重移動がしっかり行われていて、その土台の運動に伴って、大きく全身を使っているからです。
  また、「歩く」という動作は、歩く方向に体重を移動する運動であり、その運動が鈍いと、歩幅も狭くなり、歩みも遅くなります。


 レッスンで、「体重移動」そのものや、体重移動を付けた「正拳突」、また「桃源郷」の防御法・攻撃法、さらに、「前進前屈」をはじめとする「運歩法」においても、【体重の移動をしっかり行う】ことは、とりもなおさず【下半身をしっかり使う】という運動の原点です。
 右足から左足へ、左足から右足へと、体重をしっかり移動させる、ということは、つまり身体の土台である下半身を十分使うことにつながるわけです。
皆さんにとって、毎回のレッスンの目的の一つは、大なり小なり健康作り、体力作りだと思います。だとしたら、今行っている運動の効果をより高めるためには、下半身を十分使って、体重をしっかり移動させることが不可欠です。

 公園で小さな子供たちが遊んでいる様子を見ていると、10人が10人、体の中で一番よく動いているのは両足です。両手は、大人と比べると、まだほとんど手としての機能は無く、動き回るときのバランスを取る道具のようです。

足と手が連動して、両方を十分駆使できるようになるのは10代くらいからでしょうか?
 それが、20代から30代になってくると、プロのスポーツマンは別として、多くの人は足より手の方を動かす機会が増えてきます。おおむね、人間は年齢とともに運動する部分は、下から上に上がって来るようです。
それに伴って、だんだん運動量も減ってきます。


脚も、そして腕も横着になってくると、最後は口の運動だけ。おしゃべりと、そして、食べること・・・。

 ちなみに、体重が50㎏の人の脚の重さ、腕の重さって、どのくらいあると想像しますか?
5・・・(想像してみてください)・・・4・・・(想像してみてください)・・・3・・・(想像してみてください)・・・2・・・(想像してみてください)・・・1・・・・・・・・。
ハイッ、答えは、脚1本が約9.25kg。腕1本が約3.25kg、だそうです。
少々乱暴ですが、正拳突で腕を1回動かすことは、3.25kgの運動。それに対して、下半身を使って、しっかり1回体重を移動することは9.25kgの運動になる、つまり
「脚を動かすことは、腕を動かすことの3倍近い運動になる」
ということです。

桃源郷も然り。
 皆さんは、正拳突や桃源郷で、自分の身体のどこに気が行っていますか?
足より手の方が扱い易い分、どうしても上体、特に手の方に意識が行ってしまって、下半身はたまにちょっと気を付けるだけ。その方が「やった気になれる」、身体を「動かした気になれる」、というわけです。

 
特に2Cになると、下半身は上半身の動きを何とか支えている、無機質な「つっかえ棒」のようで、とても下半身に気が入っている、下半身から身体を使っているとは言えない、という人も多く見受けられます。

 毎週どうせやるなら、少しでもより自分のカラダのためになるレッスンをしたい、と願うなら、そのコツをお教えしましょう。
それは、
「一に『下半身をしっかり使うこと』。二に、『下半身をしっかり使うこと』。三、四がなくて、五に、『下半身をしっかり使うこと』」
です。

それでは、ごきげんよう!

 岸 俊和

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VOL.2 すき焼きの割り下 2020/02/02(日)
僕は、食べることが大好き。
でも、世にいう「グルメ」と言うわけではありません。例えば、「タマゴの調理」には、結構こだわりと執念を持って毎回毎回取り組みます。
その筆頭は「目玉焼き」。これは父親から2代続く、世紀をまたいだ課題です。
  「目玉焼き」について述べるには、もう少し修行が必要なので、今回は、やはりタマゴが欠かせない料理、「すき焼き」のお話です。

  すき焼きを食べる時の「タマゴの溶き方」も、もちろんおろそかにしてはいけません。「溶き方」によって、すき焼きのそれぞれの具の味わいが変わるからです。
つまり・・・、と、このまま話を続けたら、
「まあ、好きにやったら?」
と言われそうなので、今回は皆さんに、絶対すぐに役に立つ「割り下」の作り方です。
「すき焼き」と言うと、日本の代表的な料理の一つ。家庭でも、外食でも、すき焼きはいつも身近な食べ物でした。と、過去形にしたくなるのは、最近は外食ですき焼きを食べられるところが、ずいぶんと少なくなったと思いませんか?
また少々横道にそれますが・・・、
「すき焼き」を提供するお店って、ほとんど「しゃぶしゃぶ」もありますよね。
これが問題だ、と僕は勝手に推察するのです。

雪景色の天橋立
一つに、食べる側の好みが、「すき焼き」よりもサッパリ系の「しゃぶしゃぶ」に流れていることもあるかもしれませんが、問題は店の側の事情ではないか。つまりしゃぶしゃぶは、具材をすべて熱湯に入れて食べるわけですから、店の空気も汚れないし、少々食べるタイミングを逸しても、あまり問題ないんです。ところが「すき焼き」は、ちょっと熱を通し過ぎると、肉が硬くなる、味が濃くなってしまう、挙句の果てに、焦げてしまうと周りに煙をまき散らす、その鍋の後始末も・・・、と、店側の「すき焼き」への気配りと手間は、「しゃぶしゃぶ」の比ではない。
  そうなったら、世の流れが「しゃぶしゃぶ」に行っているのに、手間のかかる「すき焼き」に固執する必要はない、となって、外食で「すき焼き」を食べられるところは、「しゃぶしゃぶ」に比べて減ってしまったのではないか?
でね、もっと言うと・・・、
ハイ、「割り下」の話でした。

この割り下の作り方は、僕が20代後半、ある人の紹介で、赤坂の料亭の女将にかわいがってもらっていた時に、直伝で教わったものです。
子供のころ、家ですき焼きを食べていた時もそうでしたが、食べ始めはいいけど、だんだん入れる具材や、熱加減によって割り下の味が変わって来てしまう。そうなると、ちょっと味が薄くなってきたから醤油を足せ、砂糖をもう少し入れろ、濃くなり過ぎたから水を足せ、と、いつの間にか割り下の味は、最初とは似ても似つかない、とりあえず食べられるすき焼き風煮込みになってしまう。

昨今ではスーパーでも、出来合いの「すき焼きの割り下」なんていくらでも置いてありますが、それに簡単に手を伸ばすのは、僕としては主義に反するところであります。
さてそれで、ようやく「直伝の割り下の作り方」。

これは至って簡単で、
【酒:4、水:3、醤油:2、みりん:1】
後は好みで、砂糖を入れる。
たったこれだけです。
あくまで僕の所見ですが、この割り下は、「最初から最後まで、上品な味わいが壊れない」に尽きます。
補足は3つ。
砂糖を入れる量は、あくまで好みですが、おそらく想像しているより入れることになると思います。味見をしながら調整してください。
この割り下は、すき焼きだけでなく、かつ丼や親子丼、等の丼物、うな重、焼き鳥のタレにも、ぴったりです。
  この時も、調整は砂糖の量だけです。丼ものに玉ねぎを刻んで入れるなら、玉ねぎの甘さが出るので、砂糖は控えめに、といった要領です。
「4:3:2:1」の黄金比率は、厳守。これが肝。

 
  これで今回はおしまい。
なんだ、最後の10行だけで良かったんじゃない?なんて言わないでくださいね。
  それではごきげんよう!

  おまけ:
皆さん、ご存知かもしれないけど、すき焼きに「トマト」入れるとおいしいよ! 
  岸 俊和

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「日日是好日」始まりの始まり
 皆さんこんにちは。岸 俊和(としや)です。
2020(令和2)年を迎えて、本ホームページでは、「日日是好日」という新しいページを立ち上げました。

  本ページの狙いは至ってシンプルです。
僕自身、自分の担当する教室以外では、「RKの代表」という顔で皆さんと接することがほとんどで、なかなか皆さんと素顔で触れることが無いままこの35年余りをやってきました。
そこでこのページでは、一個人として僕自身がRKを通して感じたことや見聞きしたこと、日常での素顔を皆さんに見ていただきながら、皆さんをもっと身近に感じたい、と思っています。

  皆さんからも、様々な意見、感想、希望、RKでの体験等、聞かせていただければうれしいです。
 2020年1月
岸 俊和
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VOL.1
まずは、ぼくの自己紹介・・・ 2020/01/04(土)
初姿。岸 俊和です。
1949(昭和24)年4月生まれ。東京都出身です。
1984(昭和59)年10月、東京都新宿区に、「リズミック・カンフー」を開設しました。
 当時は、「水」と「油」のような「音楽」と「武道」を混ぜ合わせることを、どうして思いついたの?と、よく聞かれましたが、最近ではそんなことも耳にしなくなりました。
  一つには時代の移り変わりの中で、社会の様々な事象に対する音楽の役割が飛躍的に広がったこと、それと、「武道」という古めかしい、封建的なイメージが、今はずいぶん薄れてきているということもあるのでしょう。
ただ僕の中では、これという根拠があってリズミック・カンフーを始めたわけではなく、そこに導かれたのだと今は思うのです。
 
 三歳のときから、父によってヴァイオリンを通して目覚めさせられた音楽の世界。
一方で、小学校では、やんちゃ坊主で喧嘩好き。父には「今日も喧嘩で勝った!」と報告すると「よし!」と褒められ、その後、母はよく学校に呼び出されていましたが、僕を非難する先生に対しては、
「あの先生はまだ若いから駄目だ」
と決めつけ、僕に少しでも理解を示してくれる先生には、
「あの先生は俊和のことをわかってくれるいい先生だ。」
と、呼び出されている理由よりも、僕のことが話題になること自体が、うれしそうでさえありました。
  そんな僕が、一方では剣道から始まって、空手、拳法、功夫、キックボクシング等々、いろいろな武道、格闘技に触れてきました。そんな中、ある武道で初めて黒帯を取ったとき、皆の前で先生に感想を聞かれて、
「もっとケンカに強くなりたいです!」
と言って、先生を初め、皆にひんしゅくを買ったこともありました。
 
  少年時代は父から、
「ヴァイオリンを弾かない奴は俺の息子ではない」
という環境で、まさにスパルタ式で厳しく育てられました。
 中学時代は、読売交響楽団の初代コンサートマスターのドイツ人、ヴォルフガング スタフォンハーゲン先生に師事し(この先生のヴァイオリンの指導法の一つは、現在皆さんが当たり前のようにやっているリズミック・カンフーのレッスン方法にも生かされています)、
「You are the best!」
と言われて、このままドイツに連れて行かれるのかな、なんていう空気もありました。
 しかし、二十歳になったとき、父に
「ヴァイオリンは俺が見つけた人生だ。お前はお前で自分の人生を見つけろ」
と言われて、ヴァイオリンを取り上げられました。
 その頃はもう、ヴァイオリンニストになろうと思っていませんでしたが、それでもヴァイオリンは、幼少から青春時代の自分の中に一番深く根差したバックボーンだっただけに、それを植え付けた父に、首根っこからいきなりズッポリ引き抜かれたときは、二十歳を過ぎた自分が大粒の涙を流したことを今でも覚えています。
今思えばそれは父の、僕に対する大きな愛情と期待がゆえの言葉だったことは、十分理解でき、感謝もしています。
 
  そんな雑草的武道経験と、父から与えられて最後は取り上げられた音楽。
僕がその両方を深く心に閉じ込めながら、それぞれは相反する対極にあったはずの二つの世界が、三十歳を過ぎて、それらをようやく穏やかに自分の中で受け入れらるようになった頃なのかもしれません。
一見同居などあり得ない二つの世界。音楽のリズム、抑揚が、武術の動きと同化しても違和感がない、という情景がふと垣間見えたのです。
  そのわずかな隙間から見えた世界は、そこにひとたび足を踏み入れてみると、これまでの音楽の世界、武道の世界で僕自身がここまで、と終わりにしていた壁が一気にはじけて、そこには未知の、新しい宇宙が広がっていました。

  それが、「リズミック・カンフーワールド」。社名の「RK World」です。
 
 

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